ケンブリッジ大学図書館と日本研究
ケンブリッジ大学図書館は19世紀後半の外国人の日本研究者が収集した書籍「アストン・サトウ・シーボルト・コレクション」を土台とします。
・アーネスト・サトウによって収集された書籍がウィリアム・ジョージ・アストンに譲渡され、アストンが1911年に死去した時、ケンブリッジ大学図書館がコレクションを購入(およそ1900点、9500冊)、サトウも所蔵していた残りの日本古典籍を1912年に371点、1913年に62冊、ケンブリッジ大学図書館に寄贈しました。(小山騰『ケンブリッジ大学図書館と近代日本研究の歩み』41頁)
また、ハインリッヒ・フォン・シーボルトが所蔵していた日本語書籍も、ケンブリッジ大学図書館に寄贈されました。ハインリッヒ・フォン・シーボルトは日本滞在中に日本人女性と結婚して子供もありましたが、晩年にヨーロッパに戻った後、イギリス人女性オイフェミア・カーペンターと結婚、オイフェミアには前夫との間の子供マリア・ダヴィーダ・カーペンターがおり、1908年にハインリッヒ、つづいてオイフェミアが亡くなると彼女がハインリッヒの蔵書を引き継ぎ、ケンブリッジ大学図書館に寄贈しました。(小山騰『ケンブリッジ大学図書館と近代日本研究の歩み』34,35頁。)
アストンのような日本研究者が日本滞在時に日本研究の報告をしたり日本研究者を中心とした日本滞在中の外国人の交流の場であったのが日本アジア協会です。日本アジア協会The Asiatic Society of Japanは1872年に創設された学術団体です。
ロンドンに本拠を置く「英国王立アジア協会」(The Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland)の日本支部として発足する予定でしたが、この協会から独立した提携組織として創設されました。その経緯はまた別稿で述べたいと思います。
小山騰『ケンブリッジ大学図書館と近代日本研究の歩み』(勉誠出版、2017年)が最も参考になる研究です。
【サトウおよびアストンの旧蔵書籍の調査】
すでに調査報告書がまとめられています。
乕(虎)尾達哉「ケンブリッジ大学図書館蔵「アストン和書目録」について」(1)~(12)、鹿児島大学法学部紀要『人文科学論集』60―67、69、71、73、85、2004-2011、2018年。
乕(虎)尾達哉「アストン旧蔵和書とアーネスト・サトウーケンブリッジ大学図書館蔵「アストン和書目録」について・断章」(鹿児島大学大学院人文社会科学研究科紀要『地域政策科学研究』4,2007年。