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日本アジア協会 設立経緯②

明治維新以後、日本における外国人を中心とした日本研究の学術団体が日本アジア協会です。1872年設立で、現在も活動しています。

日本アジア協会の設立経緯を見てみたいと思います。

 

外国人の日本に関する情報収集、本国への送信、研究活動をみてみると、幕末のいわゆる開国前は、17世紀前半以前のイエズス会士から本国に送られた書簡、レポートを中心としたもの、17世紀後半以後のおもにオランダ商館関係者の著作からの英訳、仏訳、独訳(オランダ商館長日記、書簡など)があります。これらはまた別稿でつづります。

 

1853 年 ペリー来航の後、開港すると1859 年 横浜・長崎・函館で英米国人による日本語学習 がはじまり、翌年より、「英日」「英和」「和英」の語彙集などが出版されるようになります。それまでがオランダ語、中国語を媒介とした状況に英語が入ってきたことになります。

 

1863 年には ロンドンで『支那日本雑簒 The Chinese and Japanese Repository』が刊行されたり、ロンドン大学キングスカレッジの中国語教授にサマーズ(James Summers)が着任します。彼はサトウの大学時代の恩師の一人です。

 ※サマーズは、英国人のお雇い外国人教師とし て明治6年(1873)に来日,東京開成学校の英文学,論理学教授、新潟英語学校,大阪英語学校の英語教授を経て,明治 15年(1882)札幌農学校にて教鞭をとりました。(中川、95頁)

 

1865 年 パークスが駐日公使として日本に着任します。

パークスは駐上海領事であり、日本着任の1865年には上海の王立アジア協会の会長に就任しています。また上海領事着任後、活動を停止していた王ア協会北中国支部の活動を再開していました。

 

パークスの駐日公使としての来日以降、日本でも同様の協会の設立の動きをとります。

 

横浜居留地の外国人の間では、日本研究団体創設の動きが起こるも立ち消えるという状況でしたが、明治維新の後、新政府が外国人教師・顧問・技術者を雇用、英米国人居住者数増加がします。しかしながら、日本語を理解できる「外国人」はまだ少数でした。

 1872 年 7 月 27 日、Japan Weekly Mail に日本アジア協会設立準備会合の告知がでています。 その告知は、7 月 29 日、横浜外国人商業会議所にてアジア協会設立総会開催するというものでした。パークスらの考えでは、インドや中国同様に王立アジア協会の一支部となるはずでしたが、米国人の反対(秋山勇造「日本アジア協会と協会の紀要について」、71 頁)に加え、その名称では日本人の加入を抑制する可能性が指摘されました。(ケンリック『日本アジア協会 100 年史』、38 頁)

 

最終的には、日本アジア協会という名称での学術団体で、他のロイヤルアジア協会とは異なり、イギリス人以外の国からも協会員になれる(日本人も含む)日本アジア協会として設立しました。(楠家『日本アジア協会の研究』16-36頁。)

なお、パークスは、会の設立以降もイギリス人外交官サトウ、アストン、ミットらとともに日本研究に積極的に関与していきました。(楠家『日本アジア協会の研究』25頁。

 

・主要メンバー:アーネスト・サトウ、ウィリアム・アストン、バジル・チェンバレン、ハリー・パークス、ジョン・ギボンズラフカディオ・ハーン小泉八雲)、ヘボンアメリカ人宣教師)、ジョサイア・コンドル森有礼、等。

会員の出身地(明治前半まで) イギリス、アメリカ、ベルギー、ドイツ、ロシア、スペイン、日本(森有礼

 

1874年から『日本アジア協会紀要』刊行され、1875年から例会が開始されます。

 

例会は、当初は横浜居留地(グランドホテル)でしたが、秋以降、東京開成学校ほか、築地など外国人居留地で開催されます。これは、東京での開催のほうが、会員が参加しやすいためでした。

 

その後、1881年から外務省が年間5000ドル分の紀要を買い取り、欧米各国の新聞社、雑誌社、政府機関に送付されました。

日本政府にとっても、英語で書かれた日本研究の配布/その活動支援(協力をアピール))という外国への宣伝になるとの判断からでした。

【参考文献】

秋山勇造「日本アジア協会と協会の紀要について」『人文研究:神奈川大学人文学会誌』152、2004 年、71-82 頁。

池田雅夫訳、ダグラス・M・ケンリック『日本アジア協会 100 年史―日本における日本研究の誕生と発展―』 横浜市立大学経済学研究所、1994 年。

楠家重敏『日本アジア協会の研究 ジャパノロジーことはじめ』日本図書刊行会、1997年。

中川かず子「ジェームス・サマーズ : 日本研究者, 教育者としての再評価」『北海学園大学人文論集』 41、2008年、 95-122頁。