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幕末ー明治初期の写真コレクション オーストリアの写真家 シュティルフリートとモーザー

幕末から明治初期にかけての当時の日本についての写真に関する情報です。

 

東京都写真美術館で2022年3月2日(水)から5月8日(日)まで、「写真発祥地の原風景 幕末明治のはこだて」展が開催され、オーストリアの写真家ライムント・フォン・シュティルフリート(1839-1911)による写真が展示されています。

東京都写真美術館

 

シュティルフリートは、職業軍人として入隊したものの18歳で飛び出し、放浪中のアメリカにて写真術を学びました。1860年代の初頭から2度、貿易の仕事により訪日しているようです。

 

1869年、オーストリア=ハンガリー帝国の通商使節と共に再来日、そのまま横浜に居を構え、フェリーチェ・ベアトに写真術を学びました。18731年に1871年シュティルフリート商事(Stillfried & Co.)という写真スタジオを設立し、1875年にヘルマン・アンデルセンとの共同経営(シュティルフリート&アンデルセン)します。

 

写真家として皇族の肖像写真を撮影したりしましたが、1872年に開拓使に雇用され北海道に撮影旅行に行っています。その時の写真が今回の展示となっているようです。

1873年ウィーン万博にも作品が出品されているようです。

 

ちょうどこの頃、日本にはオーストリア=ハンガリー帝国から来日し、写真家となったミヒャエル・モーザー(1853-1912)Michael Moser

がいます。

モーザーは、「修好通商条約締結」のために1869年秋に来日したオーストリア=ハンガリー帝国東アジア遠征隊に随行して、訪問国とその国民を撮影する任務を負った写真家ヴィルヘルム・ブルガー(1844-1920)の弟子として来日しました。派遣された2隻のうち、 フリードリヒ大公号が1869年9月4日に長崎に到着、ドナウ号も同年9月16日に入港しました。

 

その後、東京でオーストリア=ハンガリー帝国と日本の間の条約締結交渉が開始

迅速かつ円満な条約締結の後、両船は11月中旬に日本を出発一隻は南米へ、もう一隻は中国経由でオーストリアへ帰国しますが、写真家ブルガーと助手モーザーは日本に残ります。というのも、ブルガーは横浜到着後まもなく病に倒れ、床についてしまったため、モーザーは日本にとどまりました。そのままモーザーは日本にとどまり、やがて

横浜に定住し、1870(明治3)年5月に新聞『ザ・ファー・イースト』を創刊したジョン・レディ・ブラック(1827-80)と出会い、地方回りをするカメラマンとして雇われました。1873年ウィーン万博では、万博事務局の一員としてオーストリアに戻ります。そのまま滞在せず、一度日本にもどり、1876年フィラデルフィア万博でも日本政府の博覧会事務局の一人として渡米、その後、母国にもどりました。

 

【参考文献】

ペーター・パンツァー監修、宮田奈奈訳、アルフレッド・モーザー『明治初期日本の原風景と謎の少年写真 ミヒャエル・モーザーの「古写真アルバム」と世界旅行』(洋泉社、2016年)、18-23頁。

宮田奈奈、ペーター・バンツァー編『少年写真家の見た明治日本』(勉誠出版、2018年)

 

モーザーの写真の展覧会は2021年に港区郷土歴史館にて開かれ、こちらでもシュティルフリートの写真も展示されました。

港区立郷土歴史館特別展 日墺修好150周年記念「日本・オーストリア国交のはじまり -写真家が見た明治初期日本の姿-」 - 特別展・企画展 | 港区立郷土歴史館