ウィーン万国博覧会と有田焼
1873年ウィーン万博は、明治新政府として正式に参加した初めての万博です。それ以前には1867年パリ万博には幕府・薩摩藩・佐賀藩が参加しました。
ウィーン万博参加にあたり、出品物の選定について、1867年パリ万博に通訳としてアレキサンダー・フォン・シーボルト(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト長男)が「金鯱など、大きなもので人目を惹くこと」が良いと助言します。
外国(主に欧米諸国)の観客の目を引くという意味ではありますが、当時の万博は、製品を通常より巨大化して作成したものを出品するということがありました。1867年のパリ万博でもそうですが、1862年ロンドン万博でも大きなものが出品されており、その実際の出品物を、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でも現在見ることができます。
人目をひくような巨大な物を展示するのが良いというシーボルトの助言から、名古屋城の金のシャチホコや、高さ185センチもある有田焼の花瓶なども出品され、日本展示室の入り口に置かれました。田中芳男、平山成信編『澳国博覧会参同記要附録』所収、「澳国博覧会場本館日本列品所入口内部之図」が、国会図書館のウィーン万博に関するページを見ると、その様子がわかります。
巨大有田焼花瓶は2つ出品され、現在は日本(有田ポーセリンパーク)とトルコ(ドルマバフチェ宮殿)に残っています。
当時の出品目録には以下のように記載されています。
371 大花瓶 ブラ形・染付御所車画 一対六尺二寸(こちらが有田ポーセリンパーク所蔵)
372 大花瓶 輸入ブラ形・染付鹿画 一対五尺
有田ポーセリンパークのものは、2016年に泉屋博古館分館で開催された「有田焼創業400年記念特別展 明治有田超絶の美―万国博覧会の時代」にて展示されました。
トルコのドルマバフチェ宮殿のものは、2018年開催の「トルコ至宝展 チューリップの宮殿トプカプの美」にて展示されました。(国立新美術館、京都国立近代美術館)
この巨大な有田焼壺についての研究で代表的なものに以下の論文があります。
ジラルデッリ青木美由紀「万国博覧会とオスマン帝国―「美術」とオスマン宮廷の日本趣味受容―」(佐野真由子編『万国博覧会と人間の歴史』(思文閣出版、2015年)
藤原友子「明治有田における大作製作とその意義」(『有田焼創業四百年記念 明治有田超絶の美 万国博覧会の時代 論考集』(西日本新聞社、2015年)。