在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究 

在外日本関連コレクションの調査・研究報告 https://researchmap.jp/mamiko

和紙コレクション パークス、オールコック、シーボルト

和紙は、レンブラントが長崎のオランダ商館からの輸入品をつかっていたことがわかっています。(貴田庄『レンブラントと和紙』(八坂書房、2005年)

20世紀末のウィーンでも画家たちの刷り物作品の展示で材質を見ると和紙ということが多々あります。

和紙は、シーボルトも収集して、本国に送っていたほか、1862年のロンドン万博(オールコックのコレクションより)、1867年パリ万博、1873年ウィーン万博でも出品されました。

 

現在、イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)には、第二代駐日公使を務めたパークスによる和紙のコレクション保管されています。

パークスの駐日公使としての日本への着任は1865年 ですが、それ以前は駐上海領事で、1865年には上海の王立アジア協会の会長に就任し、来日以降、日本での学術団体(のちの日本アジア協会)設立にも関与しました。

日本アジア協会 設立経緯② - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

1969年、グラッドストーン英国首相は外務大臣に対して和紙の調査報告を督促します。(すでに1862年ロンドン万博には初代駐日公使オールコックが自身のコレクションを日本の出品物として展示。そのなかに和紙がありました。オールコックとロンドン万博については別記事で。)

 

パークスは、1871(明治4)年にイギリス議会に『日本紙調査報告』と和紙コレクションを送りました。それらはサウスケンジントン博物館(現V&A)に保管されることとなりました。また、和紙の原材料となる植物についてキュー王立植物園が興味を持ち、長崎領事館が収集、標本がキュー王立植物園に送られました。

(町田誠之「パークス・コレクションの意味するもの」紙の博物館編『海を渡った江戸の和紙 パークス・コレクション』(求龍堂、1994年)所収、16、17頁。)

 

キュー王立植物園には、金唐紙の見本帳11冊も収蔵されています。(松村恵理『壁紙のジャポニスム』(思文閣出版、2002年)、75頁。)詳しくは壁紙コレクションの記事で触れたいと思います。

 

パークスコレクションについては、「海を渡った江戸の和紙 パークス・コレクション展」が1994年にたばこと塩の博物館岐阜市歴史博物館にて開催されています(主催は紙の博物館、と前記2つの博物館)。

パークスコレクションについては図録 紙の博物館編『海を渡った江戸の和紙 パークス・コレクション』(求龍堂、1994年)、久米康生『和紙 多彩な用と美』(玉川大学出版部、1998年)などがあります。また、当時の紙そのものの性質についての研究もあります。

(稲葉政満、小宮英俊「パークス和紙コレクションの紙質調査」(東京藝術大学美術学部紀要」(32)、1997年、5-77頁。)

 

V&AのPauline Webber氏によるパークス・コレクションについての論説もあります。

The Parkes collection of Japanese paper - Victoria and Albert Museum

 

和紙に特化したコレクションはとても珍しいですが、オールコックシーボルトなどの収集品にも和紙がありました。

 

オールコックの和紙コレクションも、ヴィクトリア&アルバート博物館にあります。

 

オールコックは、1862年ロンドン万国博覧会に、自身のコレクションを日本から郵送し日本展示物として出品します。その中に紙製品もありました。オールコックは熱海に旅行した際に和紙について強く印象を持っていました。

楠本町子「1862年第2回ロンドン万国博覧会における「日本」(『愛知淑徳大学論集』(40)、2015年、62-64頁。)

久米康生「オールコック収集のからかみ」(紙の博物館編『海を渡った江戸の和紙 パークス・コレクション』(求龍堂、1994年)所収)

1862年第2回ロンドン万国博覧会とオールコック - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

シーボルト(父子)の収集のなかにある和紙コレクションは、オランダライデンの国立民族学博物館ミュンヘンの五大陸博物館にあります。

次男ハインリッヒ・フォン・シーボルトが集めた約12万枚の型紙のうち5200点はウィーンの民族学博物館(現世界博物館)8000点以上はウィーン国立工芸美術館(現MAK)にあります。

シーボルトと同時期の商館長スチュルレル(Johan William de Sturler)収集の千代紙はパリの国立博物館に収蔵されるなど各国に和紙が収蔵されています。

 

植物を原材料とする日本の紙が、日本人の生活の中で多様に使用されている様子を、オランダ商館長、館員などが報告したり、幕末に日本を訪れた外国人たちが注目しました。

 

日本側も豪奢な壁紙として、また工芸品の材料としての紙(擬革紙)を開発し、各国に輸出を考えました。拝啓には欧米の紙の原材料が古布であり、日本の紙の多様性が注目されていたことがあります。

 

しかしながら、紙の大量生産のための安パルプ原材料の紙などが開発されたため注目度が下がり、パークスコレクションも長い間博物館の倉庫に眠っていたことが指摘されています。(増田勝彦「パークス・コレクションとその時代」紙の博物館編『海を渡った江戸の和紙 パークス・コレクション』(求龍堂、1994年)所収18-22頁、久米康生『和紙 多彩な用と美』(玉川大学出版部、1998年))。