在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究 

在外日本関連コレクションの調査・研究報告 https://researchmap.jp/mamiko

甲冑コレクション アン・ガブリエル・バルビエ・ミュラーコレクションとベルリンサムライミュージアム

海外の甲冑コレクターの博物館が、ダラス(アメリカ)、ベルリン(ドイツ)に創設されています。

 

まず、アメリカ、ダラス、アン・ガブリエル・バルビエ・ミュラー博物館です。

アン・ガブリエル・バルビエ・ミュラーコレクションは、世界でも屈指の甲冑コレクションで、コレクターのバルビエ・ミュラー氏が収集した甲冑のために博物館を創設しました。1300以上ということですが、おそらく、更に収集をつづけていらっしゃるのではないでしょうか。

ニュースレターなども充実し、世界各地へ貸し出して展覧会も開催されています。

The Samurai Collection


現在(2022年5月)は、スイスのベルン歴史博物館にて展覧会が開催中です。

Bernisches Historisches Museum : The Samurai Legend

 

2019年には、ミュンヘンのクンストハレで開催されました。

Samurai - Kunsthalle of the Hypo Cultural Foundation - Kunsthalle of the Hypo Cultural Foundation

 

2017年にはアメリカ、フェニックス美術館にて開催されました。

Samurai: Armor from the Ann and Gabriel Barbier-Mueller Collection - Phoenix Art Museum

 

もう一つは

2022年5月8日にベルリンで開館したばかりのサムライミュージアムです。

https://samuraimuseum.de/

 

収集家ペーター・ヤンセン氏の私設ミュージアムがベルリン中心部に移転しての開館のようです。甲冑ほか武具類が3000点以上とかだそうです。

サムライ博物館、独でオープンへ 「日本国外では最大」:時事ドットコム

 

ベルリン中心部に能舞台や茶室が!?「欧州一のサムライ・コレクション」ドイツ人男性の私設美術館が移転へ:東京新聞 TOKYO Web

ヴィクトリア&アルバート博物館② 万国博覧会の日本展示品コレクション

ヴィクトリア&アルバート博物館では、万国博覧会での日本出品物について、地上階の日本展示区域、上階での万国博覧会関連展示でみることができます。もちろんそれ以外の日本関連文物もありますが、そちらは別記事とします。

 

地上階(1階)展示の日本展示区域の正面入り口には、

鈴木長吉「孔雀大香炉」1878年パリ万国博覧会の日本出品物です。

日本展示区域入口 鈴木長吉「孔雀大香炉」1878年パリ万国博覧会出品

1867年フィラデルフィア万博で展示された陶磁器も見ることができます。

ヴィクトリア&アルバート博物館① 陶磁器コレクションと1876年フィラデルフィア万博 - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

そのほかの万国博覧会などでの日本出品物の陶磁器、輸出工芸品として製作された陶磁器なども見ることができます。

日本区域 陶磁器など

 

日本展示区域には、別記事としますが、「マゼランチェスト」と呼ばれる漆の長持、甲冑、ゴスロリ、キティちゃん関連などが展示されています。

 

地上階の展示のほか、上の階で万国博覧会の展示階があり、万国博覧会の第1回となる1851年ロンドン万国博覧会関連、そのほか様々な万博の展示品などを見ることができます。

1867年パリ万国博覧会の日本展示物も展示されています。

 

ヴィクトリア&アルバート博物館① 陶磁器コレクションと1876年フィラデルフィア万博

1851年に開かれた第1回ロンドン万国博覧会の収益金をもとに、産業、工芸品を主に展示する(出品物を中心に)博物館、サウス・ケンジントン博物館が建てられました。現在のヴィクトリア&アルバート博物館です。

 

産業革命により工業製品の大量生産には成功したイギリスですが、粗悪品がめだち、デザインなどの向上のために、技術的にも、またデザインとしても手本となるような品を恒常的に展示して人々が学べるようにするという目的でした。

 

19世紀後半には、イギリスでも日本に関する品々についてのジャポニスムの流行があり、陶磁器、工芸品なども注目されていました。そこで、サウス・ケンジントン博物館館長(現在のヴィクトリア・アンド・アルバート美術館)の館長、フリッツ・オーウェンは、特に陶磁器についてその歴史的変遷がわかるように、総合的に購入したいという希望を持ちます。そして佐野常民に働きかけました。フィラデルフィア万博には、起立工商会社から出品されました。

フィラデルフィア万博で展示、終了後、それらは一括してサウス・ケンジントン博物館が購入するという約束をします。

博物館に購入された陶磁器は、縄文土器、須恵器から、中世陶磁としての茶壺、茶入、さらに近世に入っての楽茶碗、伊万里焼、現代陶磁としての明治陶磁器まで216点で、

サウス・ケンジントン博物館が60ポンドで購入、イギリスにおける日本陶磁器の基本資料となり、現在も展示室に飾られています。

当時のコレクションについては、博物館のコレクション検索で探す事ができます。

 

16楽茶碗 No242-1877   19香炉(貝殻9 No.260-1877

 

野口祐子「ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵の 1876年フィラデルフィア万国博覧会に展示された 日本陶磁器コレクションに関する調査について」(『京都府立大学学術報告(人文)』第69号、2017年2月)

坂本久子「フィラデルフィア万国博覧会と眞葛焼」(『日本デザイン学会研究発表大会概要集』58、2011年。)

 

館長が日本の陶磁器の歴史的変遷がわかるような品々を依頼し、体系的に購入したように、この頃、日本について体系的に研究する「日本学」の研究が様々な分野ではじまります。文学、美術、言語など各分野で研究がはじまり、書籍や論文が刊行され、やがでは大学での日本語、日本学の講座が創設されるようになります。

日本では1872年に日本アジア協会、1873年にOAG(ドイツ東洋文化研究協会)が創立されたように、イギリス日本協会(1891年)、学術団体も各地で創設されていきました。

日本研究の歴史 日本アジア協会設立経緯① - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

日本についての工芸品、絵画など美術を通じて日本を学ぶ研究書も刊行されはじめます。

1880年 大英博物館のオーギュスト・フランクスによって蜷川式胤(のりたね)『観古図説』のフランス語版などを参考に、解説書『Japanese Pottery』が出版されます。

これは 陶磁器についてのフランス語による解説書、その英語訳です。

 

(参考 今井祐子『陶芸のジャポニスム』(名古屋大学出版会、2016年)所収、「第3章 『観古図説 陶器之部』の海外輸出」(101-149)

 

陶磁器、日本美術を、一つの作品だけでなく、体系として研究対象とする、認識するということが19世紀末にはおこなわれていました。

 

このような研究者と、現在に残るコレクションについては、別途記述していきたいと思います。

 

幕末ー明治初期の写真コレクション オーストリアの写真家 シュティルフリートとモーザー

幕末から明治初期にかけての当時の日本についての写真に関する情報です。

 

東京都写真美術館で2022年3月2日(水)から5月8日(日)まで、「写真発祥地の原風景 幕末明治のはこだて」展が開催され、オーストリアの写真家ライムント・フォン・シュティルフリート(1839-1911)による写真が展示されています。

東京都写真美術館

 

シュティルフリートは、職業軍人として入隊したものの18歳で飛び出し、放浪中のアメリカにて写真術を学びました。1860年代の初頭から2度、貿易の仕事により訪日しているようです。

 

1869年、オーストリア=ハンガリー帝国の通商使節と共に再来日、そのまま横浜に居を構え、フェリーチェ・ベアトに写真術を学びました。18731年に1871年シュティルフリート商事(Stillfried & Co.)という写真スタジオを設立し、1875年にヘルマン・アンデルセンとの共同経営(シュティルフリート&アンデルセン)します。

 

写真家として皇族の肖像写真を撮影したりしましたが、1872年に開拓使に雇用され北海道に撮影旅行に行っています。その時の写真が今回の展示となっているようです。

1873年ウィーン万博にも作品が出品されているようです。

 

ちょうどこの頃、日本にはオーストリア=ハンガリー帝国から来日し、写真家となったミヒャエル・モーザー(1853-1912)Michael Moser

がいます。

モーザーは、「修好通商条約締結」のために1869年秋に来日したオーストリア=ハンガリー帝国東アジア遠征隊に随行して、訪問国とその国民を撮影する任務を負った写真家ヴィルヘルム・ブルガー(1844-1920)の弟子として来日しました。派遣された2隻のうち、 フリードリヒ大公号が1869年9月4日に長崎に到着、ドナウ号も同年9月16日に入港しました。

 

その後、東京でオーストリア=ハンガリー帝国と日本の間の条約締結交渉が開始

迅速かつ円満な条約締結の後、両船は11月中旬に日本を出発一隻は南米へ、もう一隻は中国経由でオーストリアへ帰国しますが、写真家ブルガーと助手モーザーは日本に残ります。というのも、ブルガーは横浜到着後まもなく病に倒れ、床についてしまったため、モーザーは日本にとどまりました。そのままモーザーは日本にとどまり、やがて

横浜に定住し、1870(明治3)年5月に新聞『ザ・ファー・イースト』を創刊したジョン・レディ・ブラック(1827-80)と出会い、地方回りをするカメラマンとして雇われました。1873年ウィーン万博では、万博事務局の一員としてオーストリアに戻ります。そのまま滞在せず、一度日本にもどり、1876年フィラデルフィア万博でも日本政府の博覧会事務局の一人として渡米、その後、母国にもどりました。

 

【参考文献】

ペーター・パンツァー監修、宮田奈奈訳、アルフレッド・モーザー『明治初期日本の原風景と謎の少年写真 ミヒャエル・モーザーの「古写真アルバム」と世界旅行』(洋泉社、2016年)、18-23頁。

宮田奈奈、ペーター・バンツァー編『少年写真家の見た明治日本』(勉誠出版、2018年)

 

モーザーの写真の展覧会は2021年に港区郷土歴史館にて開かれ、こちらでもシュティルフリートの写真も展示されました。

港区立郷土歴史館特別展 日墺修好150周年記念「日本・オーストリア国交のはじまり -写真家が見た明治初期日本の姿-」 - 特別展・企画展 | 港区立郷土歴史館

 

オーストリアの日本関連文物 世界博物館② フランツ・フェルディナント皇太子日本滞在関連

オーストリア・ウィーンにある世界博物館には、1873年ウィーン万博いおける日本出品物、シーボルトコレクションなどの文物が収蔵、展示されていますが、それ以外にも日本関連の文物が収蔵、展示されています。

1873年ウィーン万国博覧会と日本展示① 世界博物館 - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

1892年末、オーストリアハプスブルク帝国の帝位継承者、フランツ・フェルディナントは世界周遊の航海に出ました。

Franz is here! | Weltmuseum Wien

1893年、長崎に到着、その後東京を目指します。

 

 

その航海記は書籍として刊行されています。

安藤勉訳、フランツ・フェルディナント『オーストリア皇太子の日本日記』(講談社学術文庫、2005年)

長崎、熊本、下関、宮島、京都、大阪、奈良、大津、岐阜、名古屋、宮ノ下、東京、日光、横浜という行程です。

 

道中、フランツ・フェルディナントは文物を収取しオーストリアに持ち帰りました。その際に集めた文物が世界博物館で展示されています。

ちょうど日本展示の隣の部屋です。

 

Online Collection | Weltmuseum Wien

1862年第2回ロンドン万国博覧会とオールコック

1862年第2回ロンドン万博で日本の展示は駐日イギリス公使サー・ラザフォード・オールコックが日本滞在中に集めたもので、614点にのぼります。

 

漆器類、刀剣甲冑などの金属製品、陶磁器、かごなどの民具、コマなどの玩具、書籍、肖像画、石版画、金蒔絵の品、象牙の根付などでした。

オールコックの出品物のリストです。

R.Alcock,International Exhibition, 1862. Catalogue of Works of Industory and  Art, sent from Japan, William Clowes and Sons, London,1862.

 

オールコックの日本滞在期間1859-1864年のあいだ(1862年に一時帰国)著書に『大君の都』(1863年)があります。

「わたしは、漆器や磁器や青銅製品の見本―それらの多くはひじょうに優良かつ珍貴なものであるーを集めて、ヨーロッパの最上の細工品と綿密な比較テストにどこまで耐えうるかをしらべるために、大博覧会へおくった。その結果は、けっして日本人の名誉を傷つけることにはならなかった、と思う。」(オールコック『大君の都―幕末日本滞在記―』中(岩波書店岩波文庫〉1966年)、42頁。)と述べています。

 

第二回ロンドン万博 でのオールコックの出品物ついては、すでに研究があります。

宮内悊「第二回ロンドン国際博覧会と日本の出品物について」(『九州芸術工科大学

一般・基礎教育系列研究論集』(4)、1979年、41-108頁。

馮赫陽「初期万国博覧会に見られる「中国趣味」から 「日本趣味」への趨勢について」

『東アジア文化交渉研究』(3)、2010年。)511-528頁

楠本町子「1862年第2回ロンドン万国博覧会における「日本」(『愛知淑徳大学論集』(40)、2015年、55-72頁。)

西垣江利子「『日本の美術と工藝』にみるラザフォード・オールコックの日本美術観について」(関西大学大学院文学研究『千里山文学論集』編集委員会編『千里山文学論集』(97)、2017年、73-92頁。)

 

さらには、この会場にて日本製品に刺激を受けたクリストファー・ドレッサーが、オールコックから展示品をかなりの数買い取っています。

西垣江利子「江戸の工芸デザインとクリストファー・ドレッサーの日本趣味―ラザフォード・オールコックの日本美術コレクションを中心にー」(『日本デザイン学会研究発表大会概要集』(65)、2018年、36-37頁。)

 

オールコックは、『大君の都』以外にも、『日本の美術と工藝』を1878年に刊行しました。

(翻訳は、井谷善恵訳、ラザフォード・オールコック『日本の美術と工藝』(小学館スクエア、2003年。)

 

オールコックのコレクションについては大英博物館などでもオンラインでみることができます。

Collections Online | British Museum

 

彼が集め、万博で展示した紙のコレクションはヴィクトリア&アルバート博物館にあります。

和紙コレクション パークス、オールコック、シーボルト - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究