在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究 

在外日本関連コレクションの調査・研究報告 https://researchmap.jp/mamiko

イギリス ロイヤルコレクションの日本文物② メアリー女王の陶磁器コレクション

ヨーロッパの王侯貴族の間で日本の陶磁器コレクションが流行になった時代があります。江戸時代、中国が世界に展開する陶磁器輸出の中心でしたが、国内の争乱いにより輸出が困難となります。その時に日本の陶磁器、主に有田からの陶磁器がオランダ東インド会社や唐船により日本からの貿易品となりました。このため、ヨーロッパにおける日本の陶磁器コレクションは、おのずとオランダに最初に形成されました。

 

オランダ総督オラニエ家のアマリア・のその後、子女が相続したり、またオランダを中心とした陶磁器コレクションのブームがヨーロッパに広がります。

取り寄せたものであったことから、メアリー2世の陶磁器コレクションは、イギリスでの東洋趣味、茶の流行、日本の対外貿易、世界における物流など様々な事柄と結びつけて考えることができますし、ヨーロッパにおける陶磁器コレクションとも関連づけられます。

 

1625年にオランダ総督となったオラニエ公フレデリック・ヘンドリック・ファン・オラニエ=ナッソウ(Frederik Hendrik van Oranje-Nassau,1584-1647)の妻アマリア・ファン・ソルムス=ブラウンフェルス(Amalia van Solms-Braunfels.1602-1675)が、陶磁器を収集し、コレクションの部屋をつくりました。彼女のコレクションは子女が相続しますが、ヨーロッパの王侯貴族に嫁いだ子女により陶磁器コレクションが広まります。

 

一方、後のジェームス2世の娘メアリー(後の女王メアリー2世)は、1677年にオランダ総督オラニエ家のウィレム3世と結婚しオランダにわたります。しかし、その後名誉革命により、父である国王ジェームス2世を議会が追放、メアリーとその夫ウィレム3世がオランダより招聘され共同統治の王位につきました。

オランダにて陶磁器をコレクションしていたメアリーは、陶磁器コレクションをイギリスに持ち帰り、ハンプトンコート宮殿、ケンジントン宮殿に陶磁器を飾りました。そのコレクションも展示されています。www.rct.uk

 

メアリー2世は陶磁器コレクションを持ち帰り、その後も東洋趣味を持ちましたが、メアリー2世が即位した頃よりイギリス東インド会の交易によりイギリスへの茶の輸入が本格化しはじめました。

 

【参考文献】

櫻庭美咲『西洋宮廷と日本輸出磁器―東西貿易と文化創造』(藝華書院、2014年)

オラニエ=ナッサウ家による磁器収集と磁器陳列室については、櫻庭美咲「オラニエ=ナッソウ家の磁器収集と陳列の諸相」(幸福輝編『17世紀オランダ美術と〈アジア〉』(中央公論美術出版、2018年)所収)

櫻庭美咲「神聖ローマ帝国諸侯の磁器陳列室―シーボルト・コレクションとの関連をふまえて」(日高薫編『異文化を伝えた人々:19世紀在外コレクション研究の現在』(臨川書店、2019年)所収)

異文化を伝えた人々 : 19世紀在外日本コレクション研究の現在

イギリス ロイヤルコレクションの日本文物 ① コレクション第一号鎧

2022年4月8日から2023年3月12日まで、バッキンガム宮殿のクィーンズギャラリーにてイギリスのロイヤルコレクションのなかの日本文物の展示がはじまります。

www.rct.uk

 

 

2020年6月の開催が予定されていましたがコロナ禍により延期されていました。日本からの見学がなかなか困難な状況ですが、オンラインもしくは、図録にてどのような文物かを見ることが可能です。

 

イギリスのロイヤルコレクションにおける日本関連文物の第1号は、第二代将軍秀忠からジェームズⅠ世に贈られた鎧で、今回の展覧会でも展示されています。

1611年、アジアでの通商を求めるジェームズ1世の国書を携えたイギリス東インド会社のジョン・セ―リスがクローブ号にてイギリスを出航、1613年に平戸に到着。その後、上京し途中徳川家康と対面、その後、第二代将軍徳川秀忠に謁見します。その後、秀忠よりジェームズ1世への贈り物を携えて帰国しますが、その贈り物の一つがコレクションの日本文物第一号の鎧です。

www.rct.uk

 

 

ウィーン万国博覧会と日本② 日本の展示品の現在 世界博物館、トルコ、有田、東京国立博物館

1873(明治6)年5月1日から11月2日にかけて、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世25周年記念してウィーンで万国博覧会が開催され、23か国が参加、出品部門は26、会期中の総入場者数は約722万5千人にのぼりました。

 

会場のプラーター公園中央には、直径108メートル、高さ84メートルにおよぶ鋳鉄製ドームの産業館が建てられ、日本の出品物は産業館などそれぞれの部門に展示されたほか、会場内の東端附近の一画に位置する日本敷地内に日本家屋の茶店と日本庭園が造られました。

産業館の日本区域入り口には、名古屋城金鯱と180センチほどの有田焼の花瓶が置かれた。巨大有田焼花瓶は2つ出品され、日本(有田ポーセリンパーク)とトルコ(ドルマバフチェ宮殿)に現在も残っています。

ウィーン万国博覧会と有田焼 - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

ジラルデッリ青木美由紀「万国博覧会オスマン帝国―「美術」とオスマン宮廷の日本趣味受容―」(佐野真由子編『万国博覧会と人間の歴史』(思文閣出版、2015年)

藤原友子「明治有田における大作製作とその意義」(『有田焼創業四百年記念 明治有田超絶の美 万国博覧会の時代 論考集』(西日本新聞社、2015年)

 

ウィーン万博への出品物は、ウィーン市内の博物館に展示品が収蔵、展示されています。ウィーンの世界博物館、そしてMAK(Museum für angewandte Kunst) オーストリア応用美術博物館です。

世界博物館

1873年ウィーン万国博覧会と日本展示① 世界博物館 - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

MAKについては別記事で設立経緯も含めて紹介したいと思います。

 

日本にも上記の有田焼のほか、東京国立博物館にも展示品が収蔵されています。

ウィーン万博閉会後、出品展示品(出品した美術品、工芸品)、展示品を販売して得た資金で購入した機械・製品・工芸品などを積んだフランス船ニール号が帰国途中、明治7(1874)年3月20日夜半に暴風雨のため伊豆沖で暗礁に乗り上げ座礁、その後沈没してしまいました。角山幸洋『ウィーン万国博の研究』(2000年、関西大学出版部)所収「第5章 仏国船ニール号の沈没」に詳細が書かれています。

 

展示した名古屋城金のしゃちほこは、大型荷物のため香港に積み残されており沈没消失を免れました。沈没船の中から一部が引き上げられ、そのうちの一部は博覧会事務局、のちに東京国立博物館へ収蔵されました。

例えば 陶器 銹絵葡萄図角皿 乾山作

C0075312 銹絵葡萄図角皿 - 東京国立博物館 画像検索

 

漆製品は、工芸品としての美しさとともに海水に対する耐久力を示すため(引き上げられるまでに一年以上海中)、1876年フィラデルフィア万博で再展示されました。

漆器 書棚 吉野山蒔絵見台

吉野山蒔絵見台 文化遺産オンライン

 

この漆器フィラデルフィア万国博覧会の報告書「米國費府博覧會報告書-第二-」の日本出品目録の中に記述があります。 『米國博覧會事務局 米國博覧會報告書-第二 日本出品目録』 34頁。 原本・国立国会図書館所蔵 1876(復刻フジミ書房、1998年))

 

號外            出品主  内務省 博物局

     髹漆見臺 凡百五十年前ノ製澳国博覧會ニ出陳シ載歸ノ中途

          豆州妻良沖ニテ郵船沈淪ス後一年半ヲ過キテ之ヲ

       取揚タリ黒漆金髹爛然奮ノ如ク些ノ損傷ナシ我邦漆器

       ノ堅牢能ク久キニ堪フルヲ證スルカ為メ今之ヲ出陳ス

 

これを読むと、漆器の堅牢性を証明するために「髹漆見臺」をフィラデルフィア万国博覧会に展示したことがわかります。

 

そのほか 引き上げられた物品 色絵金彩婦人皿(ナポレオン3世皇后図皿)があります。

色絵金彩婦人図皿 文化遺産オンライン

このような西洋陶磁器については、ウィーン万博の期間中、伝習を目的として日本から数名の技術者が派遣されました。陶磁器の学習をした人が現地(フランス、セーブル焼の研修のため製陶所に赴いた)で購入した可能性もあります。

 

イスラエル・ゴールドマンコレクションの河鍋暁斎展 イギリス Royal Academy

2022年3月19日~6月19日まで、イギリス・ロンドンのロイヤルアカデミーにて河鍋暁斎展が開かれます。

www.royalacademy.org.uk

 

 

画商であり河鍋暁斎コレクターでもあるIsrael Goldmanコレクションの公開です。Israel Goldman氏は日本の版画、絵画など画商です。本展覧会に関連した河鍋暁斎の本は河鍋暁斎研究の第一人者でもあるKoto Sadamuraさんによるものです。

 

ゴールドマンコレクションの河鍋暁斎展覧会は、2017年に日本で開催されています。

章解説 | ゴールドマンコレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力 | Bunkamura

 

大英博物館では北斎展が開かれました。

大英博物館北斎展 Hokusai: beyond the Great Wave - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

浮世絵がヨーロッパにもたらされると絵画などに影響をあたえジャポニスムと呼ばれるブームになりました。千葉橋美術館での展覧会も浮世絵によるジャポニスムへの影響に焦点をあてた展覧会でした。

ジャポニスムと浮世絵 千葉市美術館「ジャポニスムー世界を魅了した浮世絵」展覧会 - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

 1873年ウィーン万国博覧会では、日本政府の出品に際して、古物商が工芸品などを購入し、現地で売捌かれました。売捌く際には起立工商会社が創設されましたが現地に赴き起立工商会社副社長となったのが道具商若井兼三郎でした。起立工商会社と輸出工芸品については以前に記事にしています。

起立工商会社と万国博覧会 - 在外日本関連コレクション 博覧会/博物館 調査研究

 

 明治期以降、日本の工芸品が海外にもたらされるのは、起立工商会社のような輸出工芸品を制作、輸出する会社、万国博覧会などで展示され、一括購入される場合などもありました。1876年フィラデルフィア万国博覧会に展示された日本の陶磁器は、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が一括購入し、現在も展示されています。これについてはまた、別記事で書きたいと思います。

 

 そのほか、美術品の海外輸出をになった画商・道具商などがありました。NYなどにも支店があった山中商会、パリ万博で事務官として活躍、パリでのジャポニスムブームを牽引した一人でもある林忠正などがその一例です。山中商会や林忠正についてはまた、別記事で書きたいとおもいます。

 

ジャポニスムと浮世絵 千葉市美術館「ジャポニスムー世界を魅了した浮世絵」展覧会

 

千葉市美術館にて2022年1月12日~2022年3月6日まで、ジャポニスムー世界を魅了した浮世絵展が開催されています。

 

www.ccma-net.jp

www.youtube.com

 

浮世絵のヨーロッパへの影響は、ゴッホやマネなどの絵画への影響についての展覧会がこれまでも開かれてきましたが、本展覧会は欧米やロシアのジャポニスムの影響がみられる作品の展覧会です。

 

葛飾北斎富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は現在は🌊emojiとなるほど有名で世界各地で気軽につかわれています。

 

クロード・ドビュッシー管弦楽のための3つの交響的素描「海」は1905年にフランスで出版されたオーケストラ版の初版スコアにドビュッシーの希望により「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が印刷されたことも有名です。今回の展覧会ではイワン・ビリービン≪アレクサンダー・プーシキン著『サルタン王物語』挿絵≫(イ作品が展示されています。本展覧会が欧米、ロシアの作品も含めて様々な作品が展示されています。絵画だけでなく、本の挿絵、音楽までにもその世界を広げての展覧会ですが、この当時のジャポニスム/日本に関連する音楽のコンサートも会期中におこなわれました。

 

ジャポニスムをめぐる音楽~2台のベーゼンドルファーと共に~」

2022年1月22日(土)14時~、23日(日)14時~

ピアニストの川口成彦氏 2台のピアノ(ベーゼンドルファー)にて演奏

中江早希氏(ソプラノ)

 

【当日のプログラム(予定)】

カウエル: 富士山の雪
ガンヌ: 日本にて/ラ・ムスメ(日本風マズルカ
ストラヴィンスキー: 3つの日本の抒情詩
シグテンホルスト・マイヤー: 富士山の6つの情景 op.9
カルディーニ: 3つのノヴェレッテ
ケテルビー: 日本の屏風から

サン=サーンス: 歌劇《黄色い王女》より 序曲、うつせみし神に…、おかしな夢を見ていた
サリヴァン: 歌劇《ミカド》より おひさま輝き、あたりを照らす
マスカーニ: 歌劇《イリス》より ある日幼い頃(蛸のアリア)
プッチーニ: 歌劇《蝶々夫人》より ある晴れた日に

 

 

千葉交響楽団メンバーによるコンサート〜弦楽四重奏が奏でるジャポニスムの世界〜

2022年2月26日[土]14:00 – 1階さや堂ホールにて

 

 

【当日のプログラム】

〜春にことよせて〜
日本古謡/森山直太朗:さくらメドレー
中田章:早春賦
岡野貞一:朧月夜
メンデルスゾーン:春の歌
デーレ:すみれの花咲く頃
シュトルツ:プラター公園の春 〜ジャポニスムと音楽〜
サリバン:歌劇「ミカド」序曲より/歌劇「ミカド」(1885)”お日様輝き、あたりを照らす”
プッチーニ:菊、歌劇「蝶々夫人」より”ある晴れた日に”/菊の花
ドビュッシー亜麻色の髪の乙女
サティ:ジムノペディ第1番/ジュ・トゥ・ヴ
ホルスト:「日本組曲」より”漁師の唄”/”桜の木の下での踊り”

 

ジャポニスムと音楽、西洋音楽における日本については、一度とりあげていますが、オペラと各国でのジャポニスムについても別記事で取り上げたいと思います。

collectionresearch.hatenablog.com

 

ユトレヒト大学(オランダ) キリシタン版の発見

ユトレヒト大学(オランダ)で、これまで知られていないキリシタン版が見つかり、公開されています。

 

www.uu.nl

 

キリシタン版は、イエズス会によりもたらされた印刷機による活字印刷本でこれまで32種類が知られていますが、今回発見されたものはそれまでのものとは違うようで、1595年以前と、キリシタン版としても初期の物のようです。

 

objects.library.uu.nl

キリシタン版の研究では、日本アジア協会の会員であり、またケンブリッジ大学をはじめとしたイギリスの図書館に蔵書を寄贈した外交官アーネスト・サトウが The Jesuit mission press in Japan 1591-1610『日本イエズス会刊行書目』1888年( 明治21)を刊行し、現存する14種のキリシタン版についての調査を著しました。(後にさらに2種追加)

小秋元段「特集「ナショナリズムの表現」 : 古活字版の淵源をめぐる諸問題 : 所謂キリシタン版起源説を中心に」『国際日本学』8、2010年、221-237頁。 

宇野有介「アーネスト・サトウの「きりしたん版」研究:『The Jusuit mission press in Japan 1591-1610』を題材に」(『比較文化史研究』12、2010年、57-73頁。など。

 

HPによると、このキリシタン版には ”ベルリンのクリスチャン・ラウエ。1644年1月15日"という署名があります。ラウエはユトレヒトの東洋言語学の教授でしたが、彼は1649年、オックスフォード大学マグダレンカレッジのフェロー兼司書となり、その後スウェーデンのクリスティーナ女王からウプサラ大学の東洋言語学教授に任命、その後、ストックホルムで王立図書館司書となったようです。

 

ラウエがいかなる経緯でこのキリシタン版を入手したか、さらにはオランダの東洋言語学講座について、またウプサラ大学の東洋言語学講座、など彼の略歴と、携わった地の東洋言語学講座の歴史、歴代の教授など、17世紀のヨーロッパの東洋学についてもさらに研究していこうと思います。

 

展覧会 古地図と潜伏キリシタンの信仰用具 ゼンリンミュージアムほか

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産世界文化遺産登録3周年記念展 遠ざかる「世界」、キリシタンが待ち望んだ「世界」-古地図と潜伏キリシタンの信仰用具-

 

以下の博物館で開催中です。

2021年10月20日~11月14日(長崎歴史文化博物館
2021年12月4日~12月24日(大村市歴史資料館)
2022年1月5日~2月13日(ゼンリンミュージアム
2022年2月19日~2月27日(東京渋谷・Bunkamuraギャラリー)

 

prtimes.jp

 

古地図は地図としての役割もですが、その当時の世界観もあらわれています。当時の最新情報が反映されており、かつ思想(世界観)も現れているので同じ地域―例えば他国からの日本地図」ーの地図の変遷をみると、日本や近隣アジアとの地理的位置関係だけでなく、交流具合なども推し量れます。古地図については、マンチェスター大学図書館のHPでの公開記事もありますが、日本国内で、古い時代のもののコレクションは国際日本文化研究センターHPでデータベースを公開しています。

db.nichibun.ac.jp

 

参考

collectionresearch.hatenablog.com